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tetsuo yamaji
by tezzobasar
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21th of MAY
Berlin

朝まで飲んで昼まで寝る。
健康的だ。

しかしベルリンにはまだまだ見るべきものがある。

c0072829_3533310.jpg

The Memorial to The Murdered Jews of Europe
Berlin Germany
Peter Eisenman

かなり最近できたもので情報は現地で仕入れた。
危うく見逃すところだったが運良く滑りこむ。飛行機も乗り遅れてみるもんやな。
この写真はモニュメントでその地下が博物館になっている。
600x2000mmほどのブロックがぐわーって並べられ、地形の変化によってその高さが変えられている。ピーター・アイゼンマンもユダヤ人なのだが(ダニエル・リベスキンドも)、メモリアルとしての建築をつくらせると彼らの右にでるものはいない。ユダヤ人大量殺戮という人々の胸に深く刻まれた思いをアートとして表現できる感覚はその血統からくるものなのか。
でも実はアイゼンマン、アイデアをパクったらしい。裏話。
スイスでドイツから研修に来ていた人に聞いたのだが、そいつの教授も同様にコンペに参加していてこれと良く似た案を出していた。最初は違う案を出していたアイゼンマンだがその案を見て変更したらしい。
違いは連続するブロックを貫くパサージュの有無と地形のうねり。
つまり連続ブロックはパクリ。と、彼は言っていた。
アイゼンマンのネームバリューに審査員が動かされたそうだ。
ドイツはこういうところがあるからね、と嘆いていたが多少なりとも世界的にありそうな話ではある。素晴らしい建築にそういう政治的裏があるのは残念だ。


c0072829_4125420.jpg


来ました。ベルリンの壁。
街のここそこに残っているのでいくつか見ることができるがここがメイン(観光地的に)。
壁が白く塗られ夜にはライトアップされる。というのもここにチェックポイント・チャーリーがあったからだ。チャーリーとはCharlieで単にCを表すコード名。つまりは検問所C。
チェックポイント・チャーリーというのは東独の検問所ではなく、西側連合国側の「検問所」の名前。だからCharlieとかついた訳ですか。
この近くにチェックポイント・チャーリー博物館(壁博物館)もあり、壁を語る上でも中心となる場所。壁崩壊の瞬間には多くの市民が駆けつけお祭り騒ぎのような様相だったようだ。

ここでベルリンの壁について少し。
多くの人が(僕も)勘違いしていることとは思いますがベルリンの壁は西ドイツ、東ドイツを分けていたわけではない。

c0072829_437975.gif

こんな感じで東ドイツの中にある西ベルリンを取り囲むようにしてできたもの。
というのも第2次大戦でドイツと戦ったアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4か国はドイツを分割して占領し、そして首都だったベルリンも、これら4か国の間で分割され、占領された。ソ連がベルリンの東側半分を取り、米英仏は西側半分をほぼ3等分して占領した。その後、米英仏とソ連の対立が決定的となるにつれ、その影響は分割占領されていたベルリンにもはっきりと及び、西ベルリンと東ベルリンの体制の差、分断状態もはっきりしてきたわけだ。
そんなわけで経済状況の関係、社会主義的締め付けから東から西へと労働者が次々と移動し始める。それに怒った東サイドが孤島のように残された西ベルリンを壁で囲ってしまったわけだ。むちゃくちゃするな。
1961年8月13日に建設が始まり1989年11月9日に崩壊。

それにしてもドイツのこれら過去の過ちに対する徹底した公表は賞賛できる。
アメリカしかり、日本しかり、大半の国は戦争の過ちを隠そう隠そうとしている。中国の反日感情をあおるような政策にはヨーロッパ諸国からの批判も大きいが、それを公表していく日本の努力もやはり必要だ。不満に対して賠償金のような形をとっても募らせた感情は簡単には消えない。自分で判断し、納得してくれるような場所を永久的につくる必要がある。
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by tezzobasar | 2005-05-22 06:21 | ARCHI.info.
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