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新建築8月号隈研吾・乾久美子・藤本壮介・池上一夫の鼎談について、
-指導者側の問題もあると思いますよ。講評会の時、そもそも今の時代に、この敷地にこんな建物がいるのかと、デザインではなく「そもそも論」で否定してしまう。最初から否定されると学生は萎縮してしまいますよね。-隈研吾 学生の頃から思っていたことだけれど、これを言ってくれる指導者は非常に(異常に)少ないので、さすがと感心してしまった。正直、団塊の世代を中核とした権力のある指導者たちは生徒に「指導者の求めていることの空気を読んで、その論理の範囲内で説明を展開するプレゼン力」を求めすぎだと思う。彼らが高度経済成長期後に身をもって学んだ経済縮小化に対する都市論を自明の理として展開するのはあまりに正しすぎて否定のしようのないところだけれど、一方でそれが中国や東南アジアの新興国では全く通用しない前提だということもまた確か。どころか日本の地方都市でさえ同様の都市論は通用しない。となると、学生にとって簡単に足の運べない海外の状況を架空の敷地をモデルケースに一種の「ゲームとして」不埒ににデザインすることも学生ならではの特権。 そもそもなんて言う前にそもそも日本で活躍できる状況を若者に用意しないとやる気無くすんじゃないか。
by tezzobasar
| 2014-08-02 19:53
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